泡立つ夜半

芹沢きりこ

林檎と胡桃

帰り道、コンビニの店先に小さなテント屋根の張られた青果コーナー。

この間まで柿が並んでいた場所でつやつやと光る苺を横目に見ながら、いつも通りの林檎を買う。

風邪が流行っているらしい。22:30。

 

休み毎何かしらの手続きに奔走する数ヶ月にようやく終わりが見えてきた。

これからが本番みたいなところもあるけど新しい部屋が決まってほっとした。

契約というのは慣れないエネルギーを使う。

慣れる日は来ないだろうな。

 

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ちょうど1年前の下書き。

“最近は自分で稼いだお金で対価を払って、うつくしいものを手に入れる、食べる、触れる、血肉にすることのよろこびについてよく考える”。

 

本当に相変わらず、生憎収入も変わらずだけど、限られているからこそ真剣に選んで、信じたいものに割きたいって思う。

 

うつくしい物や場所の背景にある人の想いや仕事、時間の重なり。

物語を受け取るということ。

 

“自分の輪郭を正してくれるような、美意識や哲学について考える火をくれるような、整えてくれる場所”。

好きなお店について同じ日のメモ。

あの時よりも浮かぶ場所がいくつか増えた。

 

区役所と不動産の合間に、久し振りに立ち寄ったトムネコゴ。

 

ビターブレンドと胡桃のブラウニー。

レコードの後ろで薄く聞こえる5時のチャイムと電車の音。

 

顔の高さに吊られた照明はあたたかくて、焼けた本の頁に同じ色の灯りを落とす。

 

ミシン脚のテーブルの下、ペダルにそっと爪先をのせて音を立てないように揺らしてみる。

 

''ひとり"が澄んでいく感覚には他人の気配が必要で、自分の部屋ではどうしても駄目なのだ。

 

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夜はこっそり友人のライブを観に行った。

CDを買ってサインを貰った。

 

貫くことが何よりもかっこいいって、当たり前のことを思い出して。

 

頑なさの生きにくさをもっと下手くそでも愛せるようになりたいね。

 

自分で選んだことしかなくて、ちゃんと痛いから絶対大丈夫。