主人公を「きみ」と呼ぶ語り手は物語の外にいて、淡々とした記録のような描写から感情らしいものは見えない。
誰というわけでもなく、作者とも読者とも違うひとつの視線。
この慣れない感覚にどこかで出会ったような気がして、あ、と思う。
何度も反芻して、反芻して、じゅうぶんに過去にした辛い記憶を再生する時の、ドラマでも観ているようなやけに他人事みたいなあの感じ。
何気ない風景の細部まで覚えているし、誰にも言わない痛みもすべて知っている。
何ひとつ決して忘れはしないけど、それに触れても今はもう何も感じない。
長い時間をかけて、何も感じないようにしたこと。
現在はわからないけれど、少なくともあの時よりは穏やかな(穏やか、は限りなく諦めに似ている)場所からいつかの自分ー"きみ"を眺める静かな視線。
"だれかがきみに大丈夫かと声をかけるーなんてばかな質問だろうーだが、きみは泣かない。また別のドアを開けて閉め、鍵をかけて個室に安全に閉じこもるまで、きみは泣かない。"
この本を開く度、わたしにとってのいつかのきみが抱えたものと選んだことをそっと思い出すのだろう。
「青い野を歩く」 / クレア・キーガン